ADHD、ASDを抱えた発達障がい者の日記43日目
この日は朝9時前に起きる。
昨日に岡山へ日帰りで行っていた。観光地を歩き続けて、その日に寝た時間は深夜12時。そのためすごく疲れていたので、朝起きるのが遅くなってしまった。
遅くに起きたが朝食はいつも通り。
この日の午前はほぼ使い物にならないくらい疲れでだるかった。
まだ眠気が残っていたのでホットコーヒーを飲む。まだだるいけど。
昼食は昨日の岡山のスーパーで買った、広島風お好み焼き(半額)。
見た目、味の両方がモダン焼きそばに近かった。
食べたあとは在宅ワーク開始。
といってもこの日も一昨日と同じ面接対策として質問内容を想定して、それに対する回答を考えて文章に書くことに時間を費やす。
仕方ないとはいえ、めんどくさい。
在宅ワーク終了後、履歴書とハローワークの紹介状を封筒に入れて糊で閉じる。
外出する準備も終えて郵便局へ直接出しに行った。
理由は切手の不足金を使わなかった年賀はがきを処分してもらって、その処分したはがきの金額に応じて料金を支払うためだ。
そのため、
不足分の切手は年賀はがきを換金+手数料の金額を支払う。
以上で終了。あとは今年の年賀はがきの当選番号が記載されている紙を持ち帰る。
続いてスーパーで買い物。バナナと麦茶を買って帰宅。
帰宅したころにはシャツが汗ばんでいた。この日は上に来ていた服は長そでシャツにフリースだけだったが、すでに汗がついていた。今日は暑かった。というより最近暑くなってきた。
帰宅して落ち着いたところで日記をある程度書く。
日記を書いているうちに眠くなってきたので、約1時間ほど寝る。
起床後、食事に移る。
晩御飯の内容はブロッコリーと牛肉の炒めもの、もやしとニラと春雨を醤油風味で炒めたものと、鶏肉のオーブン焼き。
食事後に入浴。
今日1日は前日の旅行の影響でまだ疲れが残っていた。
でも明日には大分回復するだろう。祝日で休みだし、ちょうどいい。
いい時間になったので寝ることにする。
以上。
発達障がい者としての生活の変化
コロナの影響以上に生活が変わったことがある。
大人と呼ばれ始める年を過ぎて、ずいぶん時間をかけて判明したこと。
自身が定型発達者ではなく、発達障がいを持っていたことだ。
まず自身のことを可能な限り説明すると、診断名が二つある。
二つ目がASD(自閉スペクトラム症)。主にコミュニケーションや空気を読むことが苦手。
この発達障がいの診断が下されたのは数年前のこと。
前職で度重なる失敗により、自己都合退職。精神を病んで近場の精神科を受診したことがきっかけだ。
心理発達検査を受けて、医師との会話を通して具体的になっていく症状。
これまでにも心当たりは十分あったことが、現実になっていく。
時間をかけて判明したことが、以上の内容だ。
それからの生活の変化が、お題として求められるこの「1年」の対象範囲内になる。
月1カ月の通院。就労支援事業所への通所。パソコンやビジネススキルの学習。
「健常者」だと思っていたこれまでから、「発達障がい者」としてのこの1年。
生きる世界が変わったような感覚を味わった1年だ。
そしてまた、生活が変わろうとしている。求人を出している企業への応募だ。
障がい者枠で働こうとしている。
本当は働くのが嫌で、不安がいっぱいなんだけど。
これまでの就労は失敗続きで本当に苦痛だった。
せめてこれからの、障がい者としての就労は、幸先の良いものでありますように。
ADHD、ASDを抱えた発達障がい者の日記42日目
朝6時前に起きて朝食。すぐに外出する準備を始める。
この日は家族と岡山へ日帰りの旅行だ。
夜9時に帰り始める予定。
実質1日遊びまわるわけである。そのため日課のヘビーウォーキングや勉強、面接対策もお休み。気分転換だ。
さっそく最寄りの新幹線に乗車して岡山へ向かう。
片道約1時間かけて着いたが、よく晴れていて長袖シャツと上着2枚だけでもちょっと暑かったくらいだ。
着いて始めに倉敷美観地区に向かう。
川と舟、そして街並みがきれいだ。
だが、この日はゆっくりしてられないので、さっそく約1時間の自由解散。
自身は始めに大原美術館の隣にある、入場無料の施設に入る。
そこでは複数のひな壇が飾られていた。それぞれ個性があり無料の割に見るボリュームがある。
続いて残り30分になったところで喫茶店に入る。
この喫茶店に入るにはただコーヒーを飲むだけではなかった。
自分は猫が好きだ。その猫に会ってなでるのが目的だ。
店に入ってすぐに周囲を見渡すがいない。適当な席に座ってからコーヒーを一杯注文。
それから店内を歩き回る。
店の衝立の裏の覗くと、居た。丸くなって寝ている猫が。
名前はもも。岡山の桃太郎にちなんでいるのだろう。
さっそくなでる。抵抗は一切せずに撫でられるのを受け入れる。おとなしい猫だ。
ときどきこっちの方を見る以外、ほとんど動かない。
高齢なのだろう。
猫のももに別れを告げ、コーヒーを全部飲んで満足して店を出る。
そのころにはちょうど昼食時だったので定食屋で食事。
「かっぱ」と呼ばれる、倉敷で有名な定食屋だ。
自分は名代とんかつを注文。
カツは衣がサクサク。上からあっさりとした甘めのデミグラスソースがかかっているが、サクサクな食感が失われすぎていない。とんかつそのものにもおそらく塩コショウなどの味付けがあり、そのままでも食べられる。なにより肉のうまく、肉汁が乗っていることが大きい。さらにからしとしてマスタードもついているが、辛すぎない味付けでとんかつとソースの味を殺さない、「調和」しているかのようなおいしさだ。そのため、全体の味付けとして優しいだけじゃない、うまみによるおいしさを引き出して満足感を向上することに成功しているとんかつだ!
味噌汁も白味噌で濃すぎない、優しい味付けが、キーワードである「優しい」のおいしさをさらに際立たせる。
全体として満足。
店を出る頃には店の間で並ぶ行列があった。コロナの自粛期間中なのに密じゃないかと思えるほどの量だ。ざっと見15人はいそうだ…。
定食屋を後にして一度JR岡山駅まで戻る。
次は岡山城を拝観しに行く。
ぶっちゃけ城にはあまり関心がないほうなので割愛させていただく。
強いて言えば、城内が観光客向けに設備が整っていた。歴史を感じにくいが見やすくて手洗いの設備も整っている。さらに中には備前焼の体験教室もあった。
最上階から見える景色はやはり高いだけあって壮観だ。町の向こうの山まで見える。
さらに屋根の上には近年整えて設営したのであろう、金のしゃちほこが見える。
やはり城といえばしゃちほこ。城に深い興味がない自分でも、「あ、城に来ているんだな」と実感できる。
城内の展示をすべて見終えて城を出る。
そのまま近場の商店街まで足を運ぶ。
余談だが、商店街までの道で猫2匹と出会う。ちょっとだけ触れたので、今日は猫に恵まれているかもしれない。ラッキー。
そのまま商店街で一時的に自由解散。見回りながらしばらく時間をつぶす。
その間に地元で有名なケーキ店でケーキを複数買ったり、レトロな商店街の街並みを見たり。
適当な時間になって再度、集合。市電に乗ってまたJR岡本駅まで戻る。
ぼちぼち新幹線に乗って帰る時間が迫ってきたので残り2つの用事を済ませる。
1つめはお土産を買うこと。
今回買ったお土産は名物の吉備団子10個入り、白桃クッキー20枚入り、ももこのほっぺ単品、いちご夢二単品だ。
ももこのほっぺはパイで、桃のジャムを中に詰めたものだ。いちご夢二は焼き菓子。どちらかというとまんじゅうっぽい。
買ってから、晩御飯として近くのデパートでチェーン店の和風パスタを食べる。
味気ない気もするが、これはこれでよい。
以上で用事は終了。新幹線に乗って帰り始める。
家族で今日見に行った観光地や喫茶店にいた猫の話で盛り上がりながら地元まで向かう。
帰宅したころには夜10時だった。
さすがに疲れた。そこから入浴、歯磨きを終えてブログをしばらく書いた頃には12時をになっていた。
もう寝るには十分すぎる時間帯なので寝ることにする。
以上。
働きたくないでござる!!!
今週のお題「告白します」
タイトル通りの内容だ。働きたくない。本当はこれから企業の書類選考のために履歴書を書いて送るところだが。
まず現状をできる範囲で説明すると、自身は発達障がい持ちの無職だ。
症状名はADHD(注意欠如・多動症)と、ASD(自閉スペクトラム症)。
現在、就労支援事業所にて就労に向けた訓練や勉強、軽作業を行いながら、自身の日記を書いている。
以上が自身の大まかな現状だ。
しかし、働きたくないでござるとか書くと、ニートだの働けだの昔のネタだの言われるだろう。実際そのとおりである。
そもそも働きたくない理由として、これまでの職歴および就労において、学生時代から勉強をこなせないばかりか、仕事もうまくこなせず怒鳴られ続けてしまったことが大きい。
思えば学生の頃から周囲と比べて、圧倒的に成績が体育と美術以外悪かった。ほぼオール2だ。5段階評価のうち、2だったのは毎日授業にだけは出席していたことが大きい。皆勤賞として図書券約2000円分をもらったほどだ。本当は不登校になるのが怖くて、親の機嫌を伺って嫌々通学していただけだが。
そんな勉学の時点で失敗していては、仕事も人並みにこなすことすらできないのではないか。そんなことを学生の頃から感じていた。実際その通りになるのだが。
さらには小、中学生の頃はヤンキーでDQNな同級生にいじめられ続けるという人生の詰みっぷり。初っ端から転んでしまっている。
ちなみに学生の頃は、まだ自分が発達障がいであることは知らなかった。
存在自体知らなかった。周囲と比べて自分はどこかおかしい感覚はあったが。
そのために何事にも自信はなく、不安にとらわれすぎた学生時代だった。
年齢だけ社会人になり、仕事においても失敗続き。辛辣な言葉を投げかけられる。怒鳴られる。
一例としては、自身のあまりの仕事の遅さから、当時30代であろう上司に「君、まだ20代なのに50代のおっさんみたい。老けて見える。びっくりする」と約1時間半くらい説教されて、その場でぼろ泣きした。
他には女性パート従業員が半数を占める職場で自分だけハブられ続け、若くて立場が弱い理由から、上司に無駄にしんどいだけの仕事を優先的に振られ続けたり。
さらには当時、繁忙期で自身は正社員ではなく、なおかつほかの同じ立場の従業員は全員帰っているのに、自分だけ長時間残業をしつこく要求されたり。
実際にフルタイム+深夜の11時まで残業させられる。正社員ではないのに。
次に初めて正社員で就労した職場が建設現場で、いわゆる怒鳴って指導してなんぼの世界だった。そこでも仕事の遅さや不注意の多発で怒鳴られ続ける。説教される。
殴られることこそなかったが、指導担当であった上司たちのほとんどが、些細な気遣い一つできないだけで怒鳴るのは当たり前。お客さんが目の前にいても怒鳴るのも当たり前。現場の元請けの人間が偉そうで高圧的でパワハラなのも当たり前。
しかも建設現場が遠方だと、その現場の近くに借りているマンションの一室に上司と同居しなければならない=行動すべてを監視され、生活や仕事道具の買い出しに付き添い、荷物持ちするのも当たり前。ちなみに自分には必要のない生活用品なのに、自腹を切らされたこともある。ブラック。
そんなパワハラが日常の世界に思考が侵されて、退職する直前、自殺しようとしたこともある。
具体的には自室で、ビールを飲んで酔っ払いながらドアノブ自殺を企てた。死ぬ際に漏れるであろう排泄物対策に、紙おむつでもしようかと考えたが、死んだ後のことなんて、当時は知ったことではなかった。でも、自殺できなかった。
追い打ちをかけるように退職時、社長からの一言。
「お前はどこの会社に行っても通用しない」。
退職を手続をしていた当時、自分は誰が見ても明らかにうなだれていた。にもかかわらずあえてこの言葉を社長は言い放った。精神を病んだ人間に言うことか。鬼畜の所業。
要は失敗続きの経験が、働きたくない意思を増幅し続けてしまった。
結果、内心はニート根性が染みついた発達障がい者が出来上がってしまったのである。
そんな自分が近年になってようやく、発達障害であることが判明。
その後は数年間就労支援事業所に通所し続けた。
そしてようやく就職活動の第一歩を具体的に踏み出してしまった。自身が悠々自適に働く姿をイメージできないままに。働く覚悟が決められないままに。
常識や倫理、周囲の働けオーラに流されながら履歴書を書く。
自己PRや志望動機などを考える。
面接対策として質問されるであろう内容を想定して、文章にして話す内容を決める。
郵送する封筒の準備をする。相手と自身の宛先を書く。応募書類在中と赤ペンで書く。
あぁ、始まってしまう。
終わりの始まりが。働かなくていいという免罪符が衰えていく。絶望の未来が幕開けだ。言葉が極端か。
――告白しました。正直に。
だからせめて、この記事を読んだみなさんは私に働けなんて言わないであげてください。説教はお控えください。豆腐メンタルな私には、悪い意味で効果抜群です。
ADHD、ASDを抱えた発達障がい者の日記41日目
朝、ぼちぼちな時間に起きて、朝食を食べる。
歯磨きも済ませた後、履歴書の微調整。レイアウトを整えたりすることが主な内容。
さらに履歴書を入れる封筒の準備も並行して進める。
封筒表面に宛先、応募書類在中、裏面の左下に自らの宛先を書く。
続いて外出。
近場のコンビニのプリンターで履歴書をA3で印刷。これもぱっと見、OKだ。
途中でついでにスーパーで低脂肪牛乳、麦茶、カップ麺カレー味を買って帰宅。
帰宅して封筒に記入されている鉛筆で下書きした線を消しゴムで消す。消しカスの掃除ついでに床掃除もする。
掃除を終えたころには昼前だったので、昼食までの間、履歴書や求人票を見直す。
履歴書を見直すことで、質問されそうな内容を探して回答できるようにする。
履歴書の見直しをしている間に昼食の時間になった。
昼食はチキンカレーと昨日のキャベツの千切りの残りにパルメザンチーズをまぶしたもの。カレーを二杯おかわりする。
食べてからホットコーヒーを淹れて飲んで一息入れてから昼寝を約1時間する。
昼寝してからは、体力があり待っていたので、日課のヘビーウォーキングをする。
ただ、この日は歩いている最中につまずいてしまったことで指にかすり傷を負ってしまう。
帰宅後に消毒を済ませる。
その後はしばらく面接対策として聞かれるであろう質問が何であるかをネットで検索、情報収集をする。
ほどほどのところで一区切りに、風呂に入る。
入浴後すぐに晩御飯。
今夜はシイタケと木綿豆腐のあんかけ炒め、豚肉ともやし、ニラにみりんとごま油、塩コショウを加えた炒め物、ウナギご飯、カボチャの甘口醤油煮。
晩御飯を食べてから、さらにホットミルクとチョコレートを食べる。
今夜は早く寝ることにする。
明日は家族で岡山へ日帰り旅行するためだ。
朝もまぁまぁ早くに出発する。
そのため、明日に備えて寝たい。ただ、昼寝を1時間くらいしてしまったので、眠るのに時間がかかるかも。
では、おやすみなさい。
以上。
ADHD、ASDを抱えた発達障がい者の日記40日目
朝早めに起床。
いつも通り朝ご飯を食べてから、昨日途中まで書いていた日記を書き進めてから公開。
今日は在宅ワークを行うが、この日の午前中は面接対策として質問に対しての回答を想定して文章として書き出すことをしていた。
自己PRや志望動機だけでなく、障がい者としてできること、できないこと、前職の退職理由など。
調べれば、障がい者枠の就活にも障がい者に向けた色々なことを聞かれる内容があることが分かった。
しばらく作成してから10時ごろ、約1時間寝る。
起きたあとにお腹が空いたので昼食。
冷凍のそばめしを食べたあと、ホットコーヒーを飲みながら焼きバナナを食べる。
そうこうしている間に在宅ワーク開始。
この在宅ワークの作業時間内も質問の回答を作る。
作業終了してから、外出する。これからハローワークで求人の紹介状を発行、受け取るためだ。
電車で最寄りのハローワーク近くの駅まで向かう。
支援員さんも待っていた。この日、同行してもらうようにあらかじめ段取りを立てていた。同行してもらう目的は、難しい話があった場合、自分はうまく聞き取る自信が無いので、いざというときに聞いてもらう人が居てほしかったからだ。
さっそく集合してハローワークへ向かう。
受付で役所の求人について話したうえで、専門の窓口へ案内してもらう。
対応してくださった担当者は女性で感じの良い方だ。
さっそく本題を話して発行してもらう。
紹介状を発行するために氏名や生年月日などの確認をする。
それから窓口の担当者が求人を出している役所へ電話をかけてから発行準備をする。
途中で聞いた話だと、自分のほかに、7人も応募しているという。
既に多い。書類選考でふるいをかけるとはいえ、競争が激しそうだ。
紹介状の発行後、自身の履歴書をその担当者に確認してもらった。
通用するか、専門の方に確認してみたかったからだ。
結果はべた褒め。西暦と和暦が統一されていないことが指摘された以外はOKだ。
後は本人希望記入欄に、障がい者手帳を所持していることと、等級を書いておけばそれを見た採用担当者に対してわかりやすいと助言もいただいた。
それから自身が書面にアピールしているデザインソフトが扱える話に移った。前々から事業所で作成しているイラストを窓口の担当者に見せるとこれもべた褒め。
さらに助言として、この時スマホ画面で見せていたので、プリントアウトして見せた方が良いとの意見もいただく。
話もある程度盛り上がったところで、用件が済んだので良い雰囲気の中、窓口を後にして、施設を出る。
結果として好感触だった。まだ書類選考にも至ってないが。
支援員さんもこの履歴書なら書類選考はイケるだろうとお墨付き。
支援員さんとの会話もほどほどにこれからの段取りを話す。
履歴書の提出〆切が近いので、来週の月曜日には郵送できるように準備をする。
支援員さんも、担当者との会話で事業所の内容を紹介する書類を送るのも良いとの助言があったので、急いで準備するとのこと。
以上の話でまとまって、解散。
自分は帰りにハローワークの近くにある商店街でコーヒー豆とバナナを買って帰る。
帰宅後にさっそく履歴書の指摘のあった部分を修正、追記を行う。
次にA4サイズの書類が入る封筒を探して見つかった。
あとは封筒に郵送先と自分の住所名前を書いて切手を貼るだけで、封筒の準備はOK。
履歴書自体については明日にでもコンビニのプリンターで印刷予定だ。
良い感じに作業の折り合いをつけて風呂に入る。
入浴後に晩御飯。
内容は葉巻寿司、串カツ、ホウレン草とウィンナーの炒め物、キャベツの千切り。
食べた後、さらにおやつとしてホットミルクとチョコも食べる。
その後に歯磨きをして、寝ることにする。
明日は履歴書を送るための封筒に宛先と自身の住所、氏名を書くこと。
そしてコンビニで履歴書をA3サイズで印刷しておきたい。
以上。
ADHD、ASDを抱えた発達障がい者の日記39日目
今日は朝早く起床。
最近起きるにしても寒くなった。
朝食はいつも通り、薄皮ピーナッツと焼きバナナ。リンゴ酢入り麦茶。
今日は通所日なので、食べてから昼食用のサンドイッチ作り。
いつも通りの具材で挟んで作る。
歯を磨いて通所開始。
この日は求人に応募することが確定したため、履歴書を書くことに時間を費やす。
志望動機、自己PR、長所、短所、特技を書く。
それだけでも文章の表現に悩む。さらにそこに自分の熱意や障がい特性、その生涯に対して自分が行っている対策を書く。自然と書くことが多くなる。
支援員さんに添削してもらいながら書き進める。
時間内に合格がもらえるほど書ききれなかったので、あとは明日に書くことにする。
ちなみに明日、その求人のことでハローワークから紹介状をもらいに行く話になった。
明日の午後に支援員さんとハローワークから最寄りの駅に集合することに。
その予定を決めて作業終了して帰宅。
帰宅後はしばらく寝た。通所中に履歴書を書くことに神経を使ったからかもしれない。適度な疲労感で約1時間寝る。
起きてからは履歴書の続きを書き始める。
充分良い出来になってきたところで履歴書をチャットに送信。風呂に入る。
ただ、入浴途中に電話がかかってきた。通所先の支援員さんからだ。
内容は先ほど送信した履歴書の添削だ。
基本的に自身が書いた分で十分だが、細かな指摘があった。
名前の文字をもう少し大きくすること、
履歴書の職歴に現在通所している事業所名も書くこと、
職歴の最後に「以上」を書くこと、
一部の囲い線が点線になっているので修正すること。
等々…。
ついでに明日の持参物の有無を聞いて、支援員さんに礼を言って電話を切る。
電話を終えたころにアマゾンから置き配で荷物が届いていたことがメールで報告されていた。
着替えて取り出しておく。
終えてから再度風呂に入る。忙しい。
入浴後に晩御飯を食べる。
内容は覚えていないため割愛。
食事後は履歴書の指摘部分を修正する。
寝るのに良い時間になったところで就寝。
ちなみにこの日記を当日に公開するのを忘れていた。
履歴書のことで忙しかった言い訳もあるが、うまいことバランスを取りながら、無理せず書き進めていきたい。
以上。