「誰かにとって迷惑になっている可能性」のある自覚が大人
今週のお題「大人になったなと感じるとき」
それは「自分の言動があらかじめ、誰かに迷惑をかけている可能性があることを常に自覚する」ということだ。
「あらかじめ」が肝心だ。すでに誰かにとっての迷惑になっているかもしれない。
ほどほどに自省できるその自覚が、大人になったと思えるときだ。
そう思える理由として、公共の道路を歩いているだけでも見かけてしまう人々にある。
Uターンする運転手、歩行者の近くで勢いよくクラクションを鳴らす運転手、青信号でこれから渡り始める前に割って入る運転手…。
さっきから運転手ばっかりだ…(笑)。
でも、運転する側としてはあまり意識していないから平気でできるんだろう。
歩行者にとって迷惑になる可能性に気づいていないのかもしれない。
事故になる前に認識してほしい。
だから「あらかじめ」と表現したのだ。
迷惑かどうか、言動一つ一つに揚げ足を取らなくていい。自覚できるからってマウントをとらなくていい。
ただ可能性を認識してほしい。
可能性を自覚して適切な行動をする。
それができているとき、自分は大人になったと思えるのだ。
でも、それは自分にとって大人になったと勝手に思っているだけで、他者から見ると大人じゃない可能性がある。
じゃあ自分は大人じゃないじゃないか!
でも、誰かから見たら大人である可能性も…。
…一人で勝手に盛り上がっているところで締めに入ります(笑)。
要は「誰かに迷惑をかけているか、考えられる余裕が大人として実感できる」ってことだよ♥
生産性の無い自問自答するくらいなら、もう自分は大人じゃなくていいもん!
知るか!!
大人になんて、なりたくないよー!!!
以上!!!!