教室にいた糞餓鬼
今週のお題「鬼」
筆者は小、中学生の頃にいじめを受けていた。
そのいじめの加害者は「鬼」に違いない。
「鬼」は「鬼」でも糞餓「鬼」だが。
その「鬼」は筆者に対して哀れみや同情が一切なかった。
あったのは自己満足と傲慢、そして下卑た笑い声だった。
ひどく他人を不愉快にさせる笑い声だったことを今でも思い出す。
いじめの加害者は集団で群れる。彼らの辞書に「卑怯」という文字はないのだろう。
誰かが筆者をいじり、笑いを取る。それがお決まりのパターンでもある。
こんなので笑えるなんて、下衆な子供たちである。
つまりはそういう程度の学校であった。
大人である先生も知ってて助けようとしない。
何度も先生にいじめられていることが周知されていたはずなのに、行動しようともしない。
やりすごすことも教師の仕事になっているのだろう。
つまりはそういう程度の学校であった。
いじめられる原因は、加害者の腐った性根だけでなく、自分の特性にもあるのだろう。
筆者は生まれつき、発達障がいであった。
生まれつき、不注意が多く、学校の成績は常に5段階評価のうち2だった。
テストの点数も10点前後が平均点。
毎日の通学および出席点でもたせているようなものだった。
具体的には中学3年生になるまで、時計の見方がわからなかったほどだ。
今は何時か、当時の自分にはまるで分らなかった。
そんな自分をゲラゲラ笑う同級生。
加害者は弱いものを見下して笑う卑しい行為だと、自覚がなかったのだろうか?
無いのだろう。当時のいじめの加害者は大体、モラルのないヤンキー達ばかりだったのだから。
ヤンキーは嫌いだ。
ヤンキーにいじめられたからという影響が大きい。
彼らは群れて、粋がっている。見た目を派手にして、威圧的な態度を取ることがカッコイイと思っている。痛い人間。それがヤンキー。
総じてこういう人間は安易に幸せにならないでほしい。
被害者が受けたみじめな苦しみを彼らにも味わってほしい。
いじめの傷はおそらく一生付きまとってくる。
自分も時々、いじめられた経験を思い出してはうなだれる。
そんな彼らが今、いじめた経験を忘れて幸せに生きていると思うと憎しみとむなしさがこみ上げる。
いじめを行う子供は糞餓「鬼」だ。
「鬼」だ。
そんな「鬼」を、どうか滅してほしい。
今流行りのあの漫画のように。
以上。